

「二本松城跡箕輪門のアカマツ」(市指定)
箕輪門北側の石垣上に、土塀に代えて植えられたとみられるアカマツの古木群。樹齢350年を越え、樹冠が傘状を呈し長い枝を石垣下に垂らし、見事な景観を呈しています。
「三の丸高石垣と吐水口」
平成16年度の発掘調査の結果、高さ9.9~13mをはかる高石垣は、加藤氏時代(寛永4年~20年)に築造されたものであることが判明。盛土による石垣であるため、その配水処理として吐水口が設けられていることが明らかとなりました。
「箕輪門前の石組水路」
丹羽氏が城内・城下の防備を目的としてひいた二合田用水を、郭内(侍屋敷)に引くために配置した水路。長く蓋かけされていましたが、平成17年に蓋を外してもとの姿に戻しました。
「二本松少年隊群像」
平成8年に個人からの寄附金をもとに制作。二本松市名誉市民である彫刻家橋本堅太郎氏の作品で、戊辰戦争における大壇口の戦いがテーマです。
「少年隊成田才次郎戦死の地」「大城代内藤四郎兵衛戦死の地」の碑

大城代内藤四郎兵衛戦死の地
戊辰戦争で戦死した藩士、少年隊士の記念碑が、戦死したと伝承される地に建立されています。
「敷金」

石垣を積む際に、その勾配を調整するために積石と積石の間にはさむ金属製の板。本来は石垣正面からは見えませんが、箕輪門内の桝形を構成する石垣の一つにみることが出来ます。