

「本丸跡石垣」
本丸跡は、当初西側半分のみが現存しているものと思われましたが、調査の結果、根石が全周残されていることが判明し、本丸の形状が明らかとなりました。さらに加藤氏時代に本丸が拡張された痕跡が確認されました。当城跡最古期の穴太積石垣も現存しており、これらの調査結果を受け、平成5~7年にかけて石垣の修築・復原工事が実施されました。
「搦手門跡」
平成13年度の調査で、2時期の門跡が確認されました。Ⅱ期は現存の礎石立門跡で高麗門の可能性があり、加藤氏時代に整備されたものと判断されました。Ⅰ期はこれより古い掘立柱門跡で冠木門の可能性が高く、蒲生氏時代に属するとみられます。Ⅰ期の柱穴からは柱材が出土しており、現在、市歴史資料館に展示されています。
「丹羽和左衛門・安部井又之丞自刃の碑」

丹羽和左衛門着用具足

自刃の碑
戊辰戦争の際に、当地で丹羽和左衛門・安部井又之丞の2人の藩士が自刃しました。このとき和左衛門が着用していた甲冑は、由来書とともに市歴史資料館に展示しています。