\n"; ?> 二本松城跡│発掘調査・石垣復元
発掘調査・石垣復元(イメージ)

二本松城跡発掘調査経過一覧

  調査年度 場所 面積(m2 期間 結果 報告書
1 平成2~3
(第1次)
本丸周辺部発掘調査 約3,000 平成3年
3月6日~8月2日
掘立柱建物跡8棟、掘立塀跡3列、礎石建物跡1棟、丹羽氏時代の井戸跡等
石垣の検出により本丸の形状が明らかとなった。
二本松城址Ⅰ
2 平成4 崩落石材収集調査 約2,200 平成4年
2月1日~29日
本丸東斜面下方より崩落石材566個を収集。本丸東側に用いられたと推定された。 二本松城址Ⅱ
3 平成4 本丸東直下石垣確認調査 平成4年2月 「正保城絵図」の描写に基づき石垣を検出。寛永年間の遺構と判断された。 二本松城址Ⅱ
4 天守台東面石垣確認調査 平成4年4月 「穴太積」の石垣約24.5mを検出。当本丸に石垣が始築された時期のものと判断された。 二本松城址Ⅱ
5 ボーリング調査 平成4年
8月10日~9月16日
本丸石垣の隅角部4地点について実施。それぞれの支持基盤までの深度を測定。 二本松城址Ⅱ
6 地中レーダー探査 平成4年
8月13日~10月30日
石垣の支持基盤の状況・埋没石垣の有無・周辺地域内の遺構の状況確認を目的。
本丸下東斜面の大井戸ならびに湧水地、本丸と新城館との間の南斜面石垣崩落状況等のデータがえられた。
二本松城址Ⅱ
7 本丸石垣隅角部 平成4年
10月8日~23日
石垣解体、修築復元のための事前調査。根石の構造、支持基盤を確認 二本松城址Ⅱ
8 平成6 本丸西面石垣内部旧石垣調査 平成6年10月 天守台東面の石垣の様式と共通し、当本丸始築当初の石垣と見られ、本丸が拡張されたことを実証。 二本松城址Ⅱ
9 天守台北面直下二段石垣調査 平成6年11月 一部露出していた石垣の範囲を確認。二本松最古の石垣と推定される 二本松城址Ⅱ
10 平成5~7
(第2次)
石垣解体調査 平成5年8月13日~
平成7年6月30日
本丸石垣全面の修築復元に伴い、解体時にその構造等が調査された。 二本松城址Ⅱ
11 平成8 少年隊ブロンズ像台座部分
発掘調査
約28 平成8年
6月25日~28日
後世の撹乱により遺構は検出されなかった。
12 平成9 二本松城址現況平面測量 現況を把握するため、城址全体の平面測量を実施し、1/500の平面図作成。
平成9 城址保存管理計画の策定 城址全体の保存・管理のための提言書。
現状の確認と絵図面の比較検討等から発掘調査による遺構の保存状況等、現況を把握することが必要であるとの提言がなされている。
二本松城址保存
管理計画書
13 平成10
(第3次)
少年隊の丘西地区発掘調査 約500 平成10年
6月8日~7月24日
掘立柱建物跡3棟、柵列跡6条、溝跡3条等を検出。
中世~江戸期まで利用されていたことが明らかとなり、火災跡を整理した土壙の存在から、当平場が本丸的機能を有した時期があったことが推定された。
(平成11年度より国庫補助・県費補助対象事業)
二本松城址Ⅲ
14 平成11
(第4次)
少年隊の丘東地区発掘調査 約600 平成11年
6月7日~8月21日
15 平成12
(第5次)
ミニゴルフ場北側発掘調査 約825 平成12年
9月14日~11月15日
掘立柱建物跡、石列、本丸直下二段石垣と同時期と見られる石組の井戸跡等を検出。
丹羽氏の家紋入の軒丸瓦が検出され、江戸期にも当平場が利用されたことが判明
二本松城址Ⅳ
16 平成13
(第6次)
搦手門付近発掘調査 約970 平成13年
9月4日~11月9日
2時期の搦手門跡を確認。第1期は掘立柱による冠木門で畠山氏あるいは初期蒲生氏の時期、第2期は現存する礎石を用いた高麗門あるいは棟門で加藤氏時代(寛永期)とみられる。
また、東側斜面には高さ約1.9m、4段の石垣が北へ約54m延びていることを確認。
二本松城址Ⅴ
17 平成14
(第7次)
りんどうの丘発掘調査 約800 平成14年
6月5日~8月8日
平場を囲む形で屏風折れの礎石立ちの塀跡を検出。さらに絵図面にない蒲生氏以前の可能性のある石積を検出。 二本松城址Ⅵ
18 平成15
(第8次)
りんどうの丘東側平場発掘調査 約2,600対象
掘削面積1,000
平成15年
6月18日~9月5日
土台石を伴う建物跡が3棟検出され、二本松藩主丹羽氏の家紋(直違文)が施された軒丸瓦、軒平瓦を含む大量の瓦を検出。さらに絵図面にない石積と城内路の検出により、城が機能していた時期の様相がよく保存されていることが判明。 二本松城址Ⅶ
19 平成16
(第9次)
相生滝前広場発掘調査 約2,600対象
掘削面積580
平成16年
4月21日~6月30日
礎石を伴う建物跡が幕末期の焼土層で覆われて残存していることが確認され、小規模な庭園跡も検出されたことから、絵図面どおりに二本松藩主丹羽氏の居屋敷が存在していたことが判明。また平場南端に現存する石垣は寛永初期のもので高さ4mを測ることが明らかとなった。 二本松城址Ⅷ
20 平成17
(第10次)
菊人形会場広場発掘調査 約6,000対象
掘削面積560
平成17年
5月16日~6月30日
明治期の製糸工場遺構により幕末期の遺構が破壊されていることが確認された。
平場周辺部は遺構が残存し、居屋敷入口部の石敷遺構や、平場排水のための石組水路、集水枡が検出された。
これにより当該平場が寛永初期=加藤氏時代に整備されたことが判明した。
二本松城址Ⅸ
21 平成18
(第11次)
城址北部周回道路周辺・ローラースケート場下段広場発掘調査 掘削面積650
地形確認1,625
平成18年
5月17日~6月28日
城址西側では二合田用水の内外で土地利用の痕跡が違っていることが判明し、城郭が機能していた時代に利用されていた範囲が周回道路の内側に限定されることが明確となった。また通路とみられる石敷遺構や、城址北尾根の大規模なホリキリがL字型を呈していること、松森舘では兵舎とみられる2面庇の掘立柱建物跡などが検出され、畠山期~蒲生期の遺構がよく保存されていることが判明した。 二本松城址Ⅹ
22 平成19
(第12次)
鉄砲谷・みどりの広場発掘調査 約2,875
対象
掘削面積270
平成19年
5月22日~7月13日
鉄砲谷では東へ傾斜する地形に即した構造の礎石立建物跡を検出し、長期にわたる生活の場であったことが判明。 現存石垣の観察からは“鉄砲谷”が寛永初期に石垣により屋敷地割がなされたことを確認。
鉄砲谷平場南端では畠山期のタテボリを発見。みどりの平場では中世に掘立柱建物跡が存在した可能性が確認され、礫敷の礎石立建物跡も確認されたが、二合田用水と平場利用変遷の関係は明確ではない。
二本松城址ⅩⅠ
23 平成20
(第13次)
鉄砲谷東尾根上発掘調査 約2,882
対象
掘削面積102.4
平成20年
9月1日~9月13日
鉄砲谷の東側尾根上は、南北200m、東西80mほどの範囲で切岸や帯郭などがみられ、中世城館として整備されたことが判明。 東方の鹿子舘とは独立した舘である。尾根の南端では柵列が確認されたほか、石切り場として利用し、廃棄後にこれを整地した痕跡がみられた。鉄砲谷からのつづら折れ通路入口も検出。
石敷遺構は加藤氏時代に遷宮された八幡宮と権現宮の痕跡の可能性有り。
二本松城址ⅩⅡ
24 平成21
(第14次)
簡易裁判所跡地発掘調査 約3,489
対象
掘削面積440
平成21年
6月15日~7月17日
簡易裁判所造成により幕末期の生活面は破壊され、建造物等の遺構は検出されなかった。しかし当該土地が1m以上の盛土整地によって成形されたことが判明し、これが箕輪門前通路及び広場を確保するための土木工事であることが明らかとなった。また、この整地層下からは15世紀後半から17世紀初頭に属する三引両が施文された漆塗椀が出土した。これにより当城跡における伊達氏の存在が発掘調査により裏付けられた。 二本松城址ⅩⅢ
25 平成22
(第15次)
東邦ゴム工場跡地発掘調査 約3,653
対象
掘削面積
400
平成22年
6月21日~7月27日
水田および工場敷地としての利用により幕末期の生活面は破壊され、建造物等の遺構は検出されなかった。しかし近世の屋敷境の石垣が検出され、傾斜する地形の段差処理を石垣で行っていることが明らかとなった。さらに絵図面に記載された屋敷境のラインと一致することから絵図の信憑性が再確認された。また、「製糸会社御中」と墨書された荷札が出土し、二本松製糸会社の存在を示す初の物的証拠が確認された。 二本松城址ⅩⅣ
26 平成23
(第16次)
1区:本丸石垣⑪面基礎
2区:戒石銘碑北西側平場
約624 対象
掘削面積98
平成23年
7月19日~8月1日
2区では地山を成形し排水まで考慮した平坦地を確保した痕跡と、石切場跡が検出され、藩庁門内側に作業場が存在したことが明らかとなり、絵図面に記されない城内の利用状況が確認された。炭化物に混じって江戸時代末期の遺物が多く出土していることから、幕末の戊辰戦争の際に周辺で焼失した屋敷地の残渣を、今回の調査区に廃棄・整地したことも判明した。
また、1区は東日本大震災の影響で変異がみられた本丸石垣の基礎部分の調査あり、平成7年修築復元工事で実施した基礎補強工事に一定の効果があったことが確認された。
二本松城址ⅩⅤ
27 平成23
(第17次)
箕輪門高石垣南西隅角基礎・西面前平場発掘調査 約1,550 対象
掘削面積240
平成23年
8月2日~8月18日
高石垣の根元は1~2.5mほど埋没していることが判明し、西面・南面いずれもその前に腰巻石垣が設置されていることが明らかとなった。また、西面前平場には大量の石炭カス層が存在することが判明し、当該部分が堀状を呈して開口していたために石炭カスを廃棄したものとみられ、さらに湧水する状況から絵図面にある水堀である可能性が高い。これにより、絵図面の信憑性が再確認され、堀に伴う土塁・門等が検出される可能性が高まった。また、石垣に続く西側の斜面には新たな石積が埋没していることが確認され、当該斜面がより急峻であり、水堀とともに三ノ丸平場が堅固に護られていた江戸期の様相を明らかにすることができた。 二本松城址ⅩⅥ
二本松城跡発掘調査遺構検出状況(1) 二本松城跡発掘調査遺構検出状況(2) 二本松城跡即発掘調査区域図
二本松城跡発掘調査遺構検出状況(1)
【畠山~蒲生時代】
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二本松城跡発掘調査遺構検出状況(2)
【加藤時代以降】
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二本松城跡
即発掘調査区域図
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本丸石垣修築・復元の概要

本丸石垣修築・復元
 平成3年3月から5ヶ月にわたり実施した発掘調査で、はじめて本丸の形状と規模が判明しました。
 すでに崩壊し破損したと考えられていた石垣の、②面から⑥面までの長さ約80mにわたる遺構が検出されたからです。そして、石垣の特徴的な積み方のひとつである慶長期の「穴太(あのう)積み」や、元和・寛永期の各様式のほか、江戸後半期の様式が確認できました。
 これらの貴重な石垣を後世に残すため、各方面からの検討を重ね、平成5年8月から学術調査と合わせて石垣の全面修築・復元工事に着手し、約5億3千万円に費やし、平成7年6月に完成しました。
本丸および周辺部石垣配置図

修築・復元工事の特徴

1.時代性=城郭として機能した江戸時代の二本松城における、各時期の石積み様式を活かしました。
2.伝統技術=先人が残した知恵と技術をくみとり、石の配石方法や加工方法など江戸時代の技術を採用しました。
3.地域性=二本松城の構築技術を調査・検討し、二本松城ならではの特徴を活かしました。
4.強度=裏込め石の選択や、軟弱な支持地盤の補強など、できうる限りの耐久性を考慮しました。
修復した石垣
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