
東日本大震災による二本松城跡の被災状況
平成23年3月11日、二本松市では震度6弱の地震が発生しました。これにより、城跡内の本丸および三ノ丸の石垣は、崩壊はまぬがれましたが大きな変異が生じました。
本丸跡の石垣は三角錐状の山稜頂部に築かれており、大きな被害は本丸南側の沢状地形に位置する部分であり、ハラミや飛びだし、ズレ等がみられました。天端は南面を中心に裏込石が大きく沈下し、これに伴い裏土部分に地割れが生じています。天端石から2段程度は、全周においてズレがみられました。虎口内部も南側の石垣全体が沢(南)側へ沈下したために、大きな地割れが生じています。さらに全面において石垣がゆるみ、詰石の落下と割れ、角石を中心に石面の剥離などが多くみられました。
三ノ丸箕輪門付近では、枡形内部東側石垣の西面に大規模なハラミが生じ、その南面においては波打つようなハラミが全体的にみられました。さらに高石垣東面においてもハラミ、ゆるみ、ズレなどがみられ、高石垣南東隅角部の南面では縦目地が開いた状況が確認されました。
本丸東櫓台西面石垣の飛び出し
三ノ丸枡形内部東側石垣のハラミ
被災状況の調査
修復方針を立てるためには、石垣全体におけるズレ、ゆるみなど微妙な変化を把握する必要があるため、以下の調査を実施しました。
①目視による石垣変異調査
本丸では全面解体による石垣修築復元工事を平成5~7年度に実施しているため、石垣現況測量図および竣工写真が存在。目視により微妙な変化を把握、図示することが可能。
②現況平面測量および石垣断面測量
現況を1/200で実測。これにより平成7年竣工時の状況との比較が可能となり、断面図により相対的な変化量を把握。
③石垣基礎確認発掘調査
変異の原因と、平成5~7年の修復時に施行した基礎補強工事の成果を確認するため、平成23年7月に実施。修復時に実施した石垣基礎補強工事は、ほぼ予想どおりの効果をあげたことが確認され、捨石の効果が高いことを確認。
④地中レーダー探査
地下における水ミチの状況や本来の地形を確認。変異の原因を検討。
⑤解体に伴う発掘調査
今後実施の予定。変異の原因を検討。
災害復旧計画
市教育委員会では被害の大きい部分について、伝統工法による積み直しを行いました。
本丸跡は平成24年度に本丸石垣の災害復旧工事を実施しました。
二本松城跡本丸被災状況

福島県沖地震による史跡二本松城跡の被災状況
令和4年(2022)3月16日、二本松市では震度6弱の地震を観測しました。この地震により、城跡内の本丸跡および三ノ丸跡の石垣に大きな変異が生じました。
本丸跡では、裏込石の沈下によるハラミと天端面の地割れ、角石のズレ、詰石の落下の被害が確認されました。また、虎口部の土舗装でも地割れが確認されました。
三ノ丸高石垣西面では、北隅角部のハラミが大きくなり崩落の危険があると判断されました。

(写真は『二本松城跡36』より抜粋)

(写真は『二本松城跡36』より抜粋)
被災の状況確認調査
被災した石垣と平場の修復方針を立てるために、以下の調査を実施しました。
(1)目視による石垣変位調査
(2)石垣の平面測量調査及び断面測量調査
(3)石垣沈下量測量調査
(4)石垣天端面の発掘調査
(5)石垣解体に伴う発掘調査
(6)地質調査
復旧の方針
(1)本丸跡石垣の復旧方針
①・⑮面の角石の復旧と落下した詰石の補修、土舗装部の復旧を行う。
(2)三ノ丸高石垣西面の復旧方針
石垣の安定性の確保と伝統的技術がもつオリジナルの価値を残すため、最小限度の範囲での解体・修理を行い現況に戻すとともに、石垣の背面の安全性を優先し、文化財としての価値も高める。
試掘調査の結果
(1)本丸石垣⑨面天端の試掘調査結果
本丸石垣の天端面の中で大きい地割れが確認された⑨面天端の被災の原因究明と復旧方針を検討するためのトレンチ調査を実施しました。
結果、地割れは裏込石と裏土の境の真上で起きており、敷設した粘土層の下までは達していないことが確認できたことから、地割れが起きた原因は、裏込石が地震の揺れで沈んだことにより、裏込石と裏土の間にすべりが生じたためと判断しました。
地割れ部分に砕石を充填し復旧しました。

(写真は『二本松城跡36』より抜粋)
(2)高石垣西面天端の試掘調査
石垣裏の構造を確認することと、天端面の遺構の有無を確認することを目的に、トレンチ調査を実施しました。
結果、天端面に遺構は確認されませんでした。石垣の裏側は、昭和57年に作られた塀とそれ以後の改変により、深さ1mまで撹乱されていること、玉石と土が一緒に埋め戻されていることが確認されました。
三ノ丸跡高石垣西面の解体に伴う発掘調査
1.調査面積 11.34㎡(1.8m×6.3m)
2.調査目的 石垣の構造確認調査
3.調査期間 令和5年8月1日(火)~8月22日(火)10日間
4.調査結果
築石を一段ずつ外し、外した築石の背面の状況を記録しながら慎重に解体作業を進めました。
天端から3段目までは、昭和57年に造られた塀による攪乱が確認されました。撹乱された土を取り除くと、土と一緒に埋め戻された裏込石が検出されました。
4段目からは、築石が積まれた状況を確認することができ、土と玉石が混ざった裏込石が確認され、その幅は1mを測りました。
5段目の築石を取り除くと、築石は背面の暗褐色土を切って積まれていることが確認できました。裏込石の幅は、3段目よりさらに狭く60㎝程となりました。 裏込石には、ガラス片等が混入していることから、解体する石垣は、明治~昭和初期に積まれたものと判断しました。
北面の断面では、江戸時代の盛土面を壊して築石を積んでいる状況が明らかとなり、解体した石垣は、明治から昭和初期に積まれたことを裏付ける結果となりました。
石垣を解体したことで現れた石垣の断面では、3段目を除去した段階で、縦50㎝×横60㎝の花崗岩が確認され、5段目を除去した段階でも縦50×横80㎝の花崗岩が重なった状態で確認されました。
このような規模の花崗岩は、最下段の築石を除去した段階でも確認されたことから、石垣の裏込石を押さえるためのいわゆる“築留”であり、寛永初期に造られた石垣の隅角部の構造体の一部であることが明らかとなりました。
築石を除去した最下層のテラス状の部分から、柱穴跡(直径60㎝、深さ80㎝、柱直径26㎝)1基が確認されました。この柱穴は、築石を積む際に組んだ足場の跡ではないかと考えられています。
今回解体した石垣の裏込石の幅は狭く量も少ないこと、裏込石に混ざった土からは近代の遺物が確認されたこと、解体した石垣が昭和10年の古写真に写っていることから、解体した石垣は、明治~昭和初期に積まれたものであることが確認できました。
また、解体をしない南側の石垣の断面では、裏込石を押さえた石材を確認することができたことから、この面が寛永初期の石垣隅角部であることが確認でき、築造当初の石垣の姿を明らかにすることができました。

(上記の本丸跡⑪面石垣上平場復旧後の写真以外は『二本松城跡36』より抜粋)
福島県沖地震に伴う、二本松城跡の復旧事業の詳細は、左に示した報告書にまとめています。
この報告書は、二本松市立図書館、各住民センターでご覧になれます。