\n"; ?> 二本松城跡│二本松城大手門跡
二本松城大手門跡(イメージ)

二本松城大手門跡

二本松城大手門跡概要
 奥州道中に面した久保丁口に築造された二本松城の大手門、通称「坂下門(さかしたもん)」といいます。天保3年(1832)に幕府に絵図面を添えて願い出て、許可を得て普請した本格的な櫓門でした。「長富公記」(『二本松市史第5巻』所載)に「天保三年公許を得、新たに石壁塹壕を城下久保口に築造」と記され、さらに現存する一紙文書「天保三年六月大手門工事願書」がこれを裏付けます。
 初代藩主丹羽光重が寛永20年(1643)二本松に入府した際に大手門の築造を望みましたが、藩の財政状況により実現には至らなかったと伝えられています。9代藩主丹羽長富の治世に至り、傑物家老として知られた丹羽久米介貴明の構想によって、代々二本松藩主の長年の悲願であった大手門が築造されました。しかし、慶応4年(1868)戊辰戦争敗戦後まもなく取り壊されたものとみられ、現在、門前のお堀は埋められ、築造年代の明確な「亀甲積み崩し」技法という石垣が往時の姿をとどめています。
残された石垣
残された石垣

二本松城之図
「二本松城之図」(二本松市歴史資料館所蔵)
二本松城大手門跡 指定範囲図
二本松城大手門跡 指定範囲図
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