五星山画伯紹介

5人の画伯の様々な作品を見ることができる「五星山展」。多くの方にご覧いただければと思います。
しかし…「どんな画家が来るのか、よくわからない」 という方も、多いかと思います。
そこで簡単にですが、五人の画伯の紹介をいたします!
東山魁夷(1908年~1999年)
風景画家として有名な東山魁夷(かいい)は神奈川県横浜市に生まれ、本名は東山新吉といいます。
幼少期から人前で、絵をかき、物語をつくって発表していたそうです。
17歳で画家を目指し、1926年18歳で東京美術学校(現:東京藝術大学)日本画科に入学。
1947年第3回日展に千葉県鹿野山を描いた《残照》を出品し、特選。
東山魁夷は、この作品をきっかけに、風景画家で生きていくことを決意しました。
1956年第11回日展に出品した《光昏》により、日本芸術院賞受賞。
1969年には文化勲章を受賞しました。
風景は、いわば人間の心の祈りであり、風景は心の鏡
そう語った東山魁夷の作品は共通して、詩的な情景が描かれていると言われます。
自然をきっかけに、幼い頃のように自身の心の中に紡がれる物語を描き出していたのではないでしょうか。
髙山辰雄(1912年~2007年)
人物画家として有名な髙山辰雄は大分県大分市に生まれました。
福田平八郎画伯の作品を見て感動し、11歳で漠然と画家を目指したそうです。
1930年から東京美術学校(現:東京藝術大学)の受験に向け、
二本松出身の日本画家 荻生天泉の、指導を受けました。
1931年19歳で東京美術学校日本画科に入学。入学後に、松岡映丘の画塾に入門しました。
1946年第1回日展に《浴室》を出品し、初特選。1949年には自分の娘をモデルに描いた《少女》を
第5回日展に出品し、特選となりました。
1960年第2回新日展に出品した《樹下》により、日本芸術院賞受賞。
1982年には文化勲章を受賞しました。
人間を描きたい
と語り、この世にない顔を描きたいと思う反面、リアルさもほしいという髙山辰雄の人物画は
手も、顔も、髪の毛までも独特な表情をもっているのが特徴的です。
平山郁夫(1930年~2009年)
「シルクロードの画家」と有名な平山郁夫は広島県豊田郡瀬戸田町に生まれました。
1945年中学3年生の頃に、原爆体験をし、九死に一生を得ました。
1947年東京美術学校(現:東京藝術大学)を受験して、この年の最年少として入学しました。
1952年東京美術学校卒業と同時に、東京藝術大学の日本科副手となり、主任教授だった
前田青邨を師事するようになりました。
1961年第46回院展に《入涅槃幻想》を出品して、日本美術院賞(大観賞)受賞。
1968年約一ヶ月にわたりシルクロードの旅へ行き、この旅からシルクロード・シリーズが本格化します。
1998年には文化勲章を受賞しました。
仏教伝来道を辿ることこそ、“永遠なるもの”に触れるひとつの手だて
と語った平山は、シルクロードの仏教文化の保護、日本国内の仏教文化の保護にも力を入れ、
シルクロード風景の黄土色、日本の自然を描く緑の配色は、とても魅力的に描かれています。
加山又造(1927年~2005年)
美を求め、描いた画家の加山又造は京都市上京区の生まれです。
西陣織の衣装図案家の家に生まれ、幼い頃より北斎漫画や若冲の花鳥画に強い影響を受けたそうです。
1944年東京美術学校(現:東京藝術大学)日本画科に入学し、山本丘人に師事。
1950年第2回創造美術春季展に《動物園》《自画像》を出品し、初入選、研究会賞を受賞しました。
マチス、光琳に感銘を受け、ピカソ、ルソーの作品を好んだそうです。
加山は画家人生の中で、銅版画、切金、屏風絵、水墨画、裸婦図など様々な分野を試みました。
2003年には文化勲章を受賞しました。
「生きもの」の姿を描くことは楽しい
と言うように、加山は鹿、野牛、犀、縞馬、猫、鶴、女性など
様々な生き物の、命の姿を生き生きと描いているのが魅力的です。
大山忠作(1922年~2009年)
5月5日、現在の二本松市根崎の生まれです。
染物屋に生まれ、幼い頃から画家を目指していました。
1940年東京美術学校(現:東京藝術大学)日本画科に入学。
1946年第1回日展を見て感動し、第2回日展に《O先生》を初出品し、初入選。
山口蓬春に師事し、日展を活動の場としました。
2006年には文化勲章を受賞しました。
描こうと思ったものは描く
と語る大山作品は人物画、風景画、花鳥画、静物画など様々なモチーフを描いています。
年代により変化していく作風は、見ていて大変興味深いものです。